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須崎簡易裁判所 昭和32年(ろ)19号 判決

被告人 広瀬寿徳

主文

被告人を罰金参千円に処する。

この罰金を完納しないときは金弐百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中証人広瀬捷一郎、佐竹義宏、山口兼代、中越嘉蔵、西村周治に支給した分を被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二十九年十月二十三日頃の午後三時頃、高岡郡檮原村四万川下組道路上において、予ねて木の所有権問題で紛争を起していた広瀬捷一郎が紛争の木を搬出しているのを知り立腹し、同人に組付いた上路上に投げつけて暴行を加えたものである。

(証拠の説明)

判示所為を認定した証拠の標目は、

一、被告人の当公廷でした供述、但し判示に牴触する部分を除く。

二、証人広瀬捷一郎の公廷でした供述、並びに同人に対する尋問調書の供述の記載、但し判示に牴触する部分を除く。

三、証人佐竹義宏、山口兼代、中越嘉蔵に対する各尋問調書の供述記載、但し判示に牴触する部分を除く。

四、証人西村周治の公廷での供述(第四回公判調書の記載)。

五、当裁判所の押収調書の記載(昭和三十二年五月十八日、同十九日附)、並びに佐竹義宏の日記帳(昭和二十八年、同二十九年、同三十年分)の各存在。

六、当裁判所の検証調書。

であるが、以下証拠説明の概要を試みることとする。

さて、右上記認定の暴行によつて、被害者捷一郎が傷害(起訴状記載の公訴事実のような)を受けたという点については、証人中越清重に対する尋問調書、同人作成の診断書、同人作成に係る広瀬捷一郎の診療録写、同日本語訳の各記載、証人広瀬捷一郎の公廷での供述(第三回公判調書の記載)、同人に対する尋問調書の記載などは、直ちにこれを認め得る決定的な証拠となすことはできない。すなわち、仮りに昭和二十九年十一月二十五日頃、捷一郎が右医師中越清重に診療を受けたことはあつたにしても、そのときの傷病と、右本件被告人の判示所為(暴行)との間には、因果関係ありとするに足りる証拠はない。

却つて、証人広瀬文太郎の供述(第三回公判調書の記載)などからみても、爾後日赤病院で治療している事実などの事情はあるけれども、これらを綜合的に考察すると、「因果関係の不成立」を肯認させるに充分である。という理由は、次のように思料するのを相当とするからである。

思うに、実質犯ことに結果的責任については、その行為と結果との間にいわゆる因果関係を要請されるが、それの法的立場よりの評価につき、因果関係論の果す役割は、自然的因果関係の無限の拡大を、刑法的価値観から限定しようとするもので、畢竟責任論の中に没入すべきものであつて、社会通念から行為が結果を惹起する蓋然性のあるときだけに限るとして、一応折衷的相当因果関係説(必ずしも最理想的とはいえなくても)に従うとしても、その是認すべき「相当性」は、これまた究極においては、社会通念ないし法感情によつて判断すべきものと解さなければならない(尤も、従来の判例は概ね平等条件説的立場を支持するもののようで―大判大正一四、七、三 最判昭和二五、三、三一―あるが、「稀有の事例」を除外するもの―東控判昭和八、二、二八―の如く相当条件説とみられるべきものもある。)。

そこで、これを本件についてみると、被害者捷一郎が中越医師に対してなした陳述をきいた日の同証人の供述はあるにしても、証人佐竹義宏、同山口兼代らの上記各尋問調書の供述記載に照して、これを更に深く掘りさげて仔細に検討するときは、上記認定の日時頃(中越医師の診療日より約一ヶ月以前に遡る)即ち本件暴行の加えられた当時になされた診療ではないこと明白であつて、証人捷一郎(上記のとおり)、同広瀬吉子らの供述(第三回公判調書の記載)をにわかに措信することはできず、従つて、これだけによつて、(また、それを信じてなした中越医師の診療やその当時の所見などに関する供述をも含めて、)相当因果関係の存在を肯認する材料に供することは、正鵠を得たものとはいいえないのである。

さらに、右の判断を採ることに左祖せしめる裏付けとして、右被告人の本件所為(暴行)の動機として浮び上るものを考究することにする。先づ近因としては、捷一郎が栗の木を伐採搬出しようとしたことであり、その遠因としては、同人と被告人らとの土地境界争論があること、証人伊藤勇吉に対する尋問調書の記載、檮原村農業委員会長の検察官に対する回答書(昭和三二年七月一二日付)などの証拠にみるも自明であつて、右本件暴行後二年有余を経過して訴追されるに至つた経緯(それは、捷一郎作成の告訴状、その他本件起訴状など一件記録上明らかである)などをも総合して勘考するときは、本件審理に顕現されたところの各関係者の記憶の如きは、その供述をみても明らかなように、極めて薄弱不明確であつて、彼是対照してみると、微細な点では矛盾するところも尠くないけれども、むしろそのような事情こそが、本件の真相により合致するものというべく、ただ証人佐竹義宏の供述と同人の手記になる日誌の存在と、その記載内容などは、上記の認定を決定ずける相当重要な資料というのほかはないのである。

けだし、数個存在する証拠の中で、取捨選択をして最も価値ある証拠を発見することの緊要なことは勿論であるが、各証拠を相互に対比して相互関係を検するとき、本件の場合のように、証拠相互に矛盾があると、総合判断の過程で最も信憑力があり且つ合理的な部分だけ残し他を捨てて帰一するところによる(札高判昭和二七、三、八広高判昭和二五、五、八同八、八)べきであり、右総合判断における心証形成の資料としては、証拠の一部を必要とすることがあり、その判定は理論上並びに経験則に従いなすべきもので(仙高判昭和二八、一一、二四)、数人の証言相互に矛盾があれば、その矛盾が本質的な本筋のそれか、或は枝葉末節なそれかを判別することが必要である。また、本件にもみうけられるように、相反する数人の証言中、被告人と特別の間柄にある者や、観察の不正確な者の証言が、正確性を軽減するものと判断するのを妥当とすべきことも多いのである。

これを要するに、事実の誤認は、論理の法則や経験則に違反し、推理判断をあやまることに基因し、多数の証拠を総合して推理判断するには、透徹した直観の作用により、個々の証拠から事実を精密に抽出分析し、矛盾と符合の関係を追究して、その結果によつて綜合的に主要事実全体を認定すべきものであつて、かかる観点から如上の結論を得た次第である。

なお、いうまでもなく、傷害は「暴行に因つてその生活機能の毀損即ち健康状態の不良変更を惹起すること」で、暴行罪の結果的加重犯であると解せられ(判例学説とも)、結局傷害の罪の行為自体は、暴行その他の身体的侵害行為であるから、本件で認定した上記暴行の事実は、公訴において、傷害罪の行為内容として、その訴因中に明示されるところであつて、理論的には訴因の同一性に変更を生じたと解せられぬことはないけれども、米法にいわゆる『大は小を兼ねる』如き場合に該当し、責任の軽減される場合に属し、被告人の防禦権行使に不利益をもたらす虞があるものとは思われないので、別に訴因の変更の手続を命ずることなく、上記のように認定したわけである。

(法令の適用)

刑法第二〇八条、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号、(罰金刑選択)、刑法第一八条、刑事訴訟法第一八一条第一項。

(裁判官 井上和夫)

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